「秋の砂」

「秋の砂」――木坂涼――

そんなに
いいことはないよ と

海に
言ってみる

海が
波のさきを
砂浜にひっかけ
ひっかけ
陸へ
あがりたそうにしているから

わたしは
足あとを
波のさきにのこした
ひんやり湿った
秋の砂に

海に嫌みを言ったあとの
苦笑で
すこし軽くなった足あとを

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「そんなに いいことはないよ」
からはじまる静かな音楽。

「砂浜にひっかけ ひっかけ 陸へ あがりたそうにしているから」
ここを読むときの、ちょっとした ひっかかり が好き。
波が寄せて、ひいて、また寄せる、あのちょっともどかしい間隔。
その感覚がこのひっかかりに重なる。

それに、このひっかかりのリズムが、
「わたし」の心にひっかかっている何かにも重なる。

次の連、
「波のさき」に足あとをつける、ちょっとした遊び心がちょっかいをかけるみたいで素敵。
「ひんやり湿った 秋の砂」という言葉から裸足のイメージも浮かんで、
その次の連と合わせて
スゥーっと肩の力が抜けて、ラクになってるかんじがすごく伝わってくる。

元気がでるわけじゃない。
前を向こうと思うわけでもない。
この詩を読むことは
深呼吸することみたい。
この詩は、そういう静かでリラックスしたところが好き。

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「そんなに いいことはないよ」
この言葉は、海に向けた言葉だけど、
もしかしたら「わたし」自身への言葉にもなっているのかもしれない。

何か、こころにつっかえがあって、
「わたし」は秋の海にきた。
海が「砂浜にひっかけ ひっかけ 陸へ あがろうとしている」のを見て、
自分も、どこか別のどこかへ
ひっかけひっかけあがろうとしていると気付いたのかも。

すると、
海の姿と自分の姿が重なって
海に言ったはずの
「そんなに いいことはないよ」
という言葉は、
自分に返ってくることになる。

そして「わたし」は「苦笑」して、
スゥーっと力が抜けていく。

そんなふうに読んでしまった。
でもここでは自由に読みたいから
よしとしよう。

まぁ意味はそんな重要じゃない。
とにかく、この詩のみずみずしさ。静けさ。軽さ。
それが好きだなぁー。

それにしても、
――木坂涼――
この詩にピッタリな名前だ。

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